カテゴリ:人生 |
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2012年 02月 09日
とかく会社にとってはビジョンが大事と、
それがあって中期計画が立てられて、予算にも落とせ、予実管理も重要と、 対会社では言っているものの、言ってる自分は人生のビジョンなく、目的の無い航海、なんだかふわふわ大海をさまよっているだけ、みたいな。 今日の帰り道、千代田線に乗り換える表参道あたりで、歩いていてふと、何の気もなしに腹にストンと落ちるビジョンが見えた。神のお告げか、何のお告げか、 日本を再生させる(再生する)、 会計士としての経験、知識、体力気力知力をつかって、 これがおれのビジョンだ
2012年 02月 04日
Yahooニュースに三井物産の会社説明会の記事あり、興味本位で三井物産のHPを見てみる。
石田禮助、元物産代表取締役を務め、その後、第5代国鉄総裁も務めることとなった方の、自己紹介での言葉である。 この言葉ひとつ、感銘を受けたので記しておこうと思ったのである。
2012年 01月 03日
昨年末の出来事を整理すると、
まず休暇初日は、夜、HさんとのDD談義を民芸で行う。自転車での帰り道が恐ろしく寒かった。 翌日夕方に嫁実家に車で移動。次女がおじいちゃんにべったり。俺に向かって誰だこの伯父さんは?みたいな顔。夕ご飯はチーズフォンデュ。 滞在2日目は佐野のアウトレットへ。娘用ルコックの靴を調達しにいくが、サイズなし。戻ってからいつものラーメン屋でランチ。つけ麺がやたらと旨かった。夜は刺身三昧で手巻き寿司。 滞在3日目は10時ごろ丸の内目指して出発、本屋でITDDの本と、電鉄業界の本と、SAPの解説本を探してみるも、いいものなし。就活用の電鉄業界本を買ってラーメン屋で昼飯をしながら読む、夕方から恵比寿で親戚若手一同での飲み会。1時間少しぐらいで撤収。19時半過ぎに嫁実家にとんぼ返り。 滞在4日目は午前中に嫁実家を後にし帰宅。 車の中でマックのランチ。帰宅後、娘二人を連れて公園をはしご。まずはグルグル公園。その次はブランコのある団地のそばの公園。最後は遊歩道にあるドーンジャンケンポイ公園と鉄棒。鉄棒で長女に逆上がりを教えてやるも、勢い余って回り過ぎ落下、若干後頭部を打つ。申し訳なし。ごめんよ長女。夜はHさん夫妻がいらして恒例の大みそか。嫁は頑張って料理。長女はがんばって起き続け、夜中の神社詣でにまで繰り出し、つきたてのきなこモチをゲットする。次女は爆睡。 良く朝、元旦は10時半過ぎに実家へ出発。到着後、昼飯は海岸沿いのMOS CAFEに繰り出す。食後、穏やかな暖かさの中、海辺まで出てみる。次女が意外に海を怖がらない。長女はなんだか怖がったものだけど。肝の据わった次女を垣間見た感じ。 2日目は雑煮など食らった後、江ノ島神社へ繰り出す。長女2歳になった直後でえいやこらと頑張って階段をいくつも上った場所だ。次女もそこそこ頑張った。夜はエビフライやら何やらを母と嫁とでえいやと準備し、その後は酒盛りに近く、ワインが4本空いて、あとは何かを飲んだ。 3日目、すなわち今日であるが、ランチに皆で近所デパート8階の中華に行った。思いのほか悪くない。満足は昼飯。帰り道、気づくともう15時半過ぎであった。実家に戻ってから途中でやっちまった次女のおむつをかたづけ(くさかったー)、お風呂でお尻をあらってやり、17時過ぎに家を出て、19時前に帰宅。そして、今だ。 なんだか詰め込まれた年末年始だったが、やることをやったという感じだろうか。2012年、そして1月おそらく中旬から本格化し、3月末までは継続すると見込まれる新案件、今までの経験を踏まえ新境地も開拓すべく、心あらたに前向きに取り組んでいく所存である。
2011年 09月 22日
早朝とはいえ、0時半過ぎ。枕もとになぜか置いていたiPhoneが着信で振動し、取る事は出来なかったけど起こされた。着信履歴を見ると母から。瞬間、ばあちゃんが亡くなったかと思った。折り返すと果たしてその通りであった。通夜や葬儀があるので会社を休まなきゃいけない、夜中にチームメンバーにメールを書く。一人、2時過ぎだというのに了解しましたなる返信を寄こしてきたツワモノがいた。
朝、目を覚ましたら台風のため悪天候、徐々に雨・風ともに強くなる。午前中に長女の歯医者を変更、そのまま実家に向かう事にした。嫁と次女は天候等考えて、ひとまず自宅待機。 昼過ぎに母に電話。天候悪化の一途、かつ、通夜・葬儀一日繰越ゆえ、今日は来なくていいと。高島屋の地下で和菓子を買い、9階で長女と昼飯を食って帰る。しかしあの焼き肉屋はひどいぜ、もう二度といくことはないだろう。娘に出した子供用クッパも子供だましに近い。 14時半過ぎに帰宅すると、そこから雨・風が一段と勢いを増した。夕方ニュースを見ると、電車が続々と運休、帰宅難民がまたもごった返す、わしも出社してたら、今日は散々疲れるはめになったろう、ばあちゃんが最期にひといき休みをつくってくれ、混乱に合わぬようにしてくれたようなものだ。 22日午前、まさに台風一過の大晴天である。午後からばあちゃんの通夜である。
2011年 08月 04日
松田直樹さんがサッカー界で残した功績は大きい。中田と同年次で、U-17日本大会から幾つもの修羅場をくぐった人間だ。183cmでまだ34歳。海外の有名FWともガチンコで対等に渡り合えた稀有な存在。ほんの数ヶ月前の血液検査で何の問題もなかったと言う。
決して倒れるはずの無かった人間が、運命なのか残酷な瞬間によって、最愛の家族や仲間たちと永遠に別れることになる。残った者たちの痛みもさながら、どれほどの悔しさ、悲しさが松田直樹さんにあるやしれない。 人間、どんなに健康でも頑強でも、明日まともに生きていられるか分からない。一日一日が貴重なもので、明日死ぬことを前提にした生き方というものが、それを死生観というのか分からんが必要なのだと身につまされた。 しかし、松田直樹さんとそのの家族を思うと、胸が痛くなる。もし俺が今急に倒れたとして、永遠に家族に会えないとなったら、その思いは筆舌に尽くしがたいとしか言いようがない。 もしいつかその瞬間がきたら、娘二人には、この瞬間、これまで、これからも俺は本当に愛しているんだということを感じて欲しいと、 それだけだ。
2011年 05月 19日
アコースティックギターを買って、時間を見つくろって習い、ホテルカリフォルニアをぽろりんぽろりんと弾けるようになる。と、人生が深みを帯びてくるだろう。
2011年 04月 12日
事務所内を移動中、エレベーターのボタンを押すと、つかない。ほんで、あれっ?と思い隣のエレベーターを押してもつかない。なんじゃこれ?と思ってると、何やら床が揺れてる気がする。階段を使って戻ると、やはりオフィスが揺れていて、皆さんなんだか不安げな様子。
震災一カ月後にして大きめの余震。 予断許さずである。 そして、関東、東海地方に必ずや来ると言われる大型地震への備えが必要なこと、改めて再認識する。少なくとも防災グッズや非常食の類、ここへきて事前準備を怠れば、「あほ」そのものである。 < 前のページ次のページ >
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